放射能に大きな関心が

福島原発が今回の東北関東大震災の被害を受けて機能停止し、放射能が漏れ出してきているために、

茨城、福島、栃木などで生産されている野菜が放射能を浴びて、過剰反応が起こり出荷できないとテレビで報じていました。

人体への影響がどの程度あるのか、わからないことが不安を呼んでいるようです。

それを受けて、テレビでは専門家がわかりやすく影響についての解説をしていました。

簡潔に言えば、現況では影響は無いと語っていました。

放射能についてネットなどでも解説されているようですが、詳しくそれについての知識がある人達にはそれが理解されている様子です。

娘が勤めている会社は原子力関連の設備を手掛けていて、詳しく知る人がいるようで、聞いた話からでは影響はないと本人が話していました。

しかし、分からないと不安になることも事実です。

しっかり知識を持つことも対策の一つでしょう。

放射能という言葉を知ったのが、小学校の頃です。

当時、米ソの核開発競争で核実験が何度も行われていました。 

原子爆弾は「ピカドン」とも呼ばれ、広島、長崎に落とされてその威力の凄さが知れ渡っていました。

冷戦状態の背景を受け、覇権争いの道具としても使われ各国が核保有国になろうとしていた頃です。

そんな頃、昭和29年(1954年)3月1日マーシャル諸島近海ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、マグロ漁船第五福竜丸が放射能を浴びる事件が起こります。

これにより、不安が広がりマグロが大量に遺棄されてしまいました。

また魚類などの食料に不安が起こり売れなくなる状況も呈します。

放射能を浴びた久保山さんが原爆症で死亡し反核、反米運動が発生して、国情は騒然となった時期です。

その事件が切っ掛けで、「生きものの記録」と言う映画、主演三船敏郎、監督黒澤明でつくられています。

公開は1955年です。

三船敏郎が老け役に取り組んでいました。

その頃、死の灰(放射能)が雨に混じってくるので濡れない様にと注意が出ましたが、子供の私そんなことをあまり気に掛け無かったと記憶にあります。

親も注意しなったような気がします。

商売をやっていましたから、かまっていられなかったのかもしれません。

当時、放射能を測定するガイガーカウンターと呼ばれる装置も※ニュース映画などで知りました。

※当時は映画劇場でニュース映画を映写していました

そんな状況でも日本で平和利用目的で初の原子炉が茨城、東海村に建設されます。

商業用として原子力発電が行われるのが数年後です。

当時、切手蒐集が流行っていて、私は記念切手を手に入れました。

それから半世紀原子力発電所が多く作られ今日至ってこの事故です。

私の記憶にとどまっていませんでしたが、1999年には東海村JCO臨界事故で、死者2名、被曝者667名を出しています。

 

見直す機運が高めるかもしれません。

台湾では反対運動が起こっています。

 

 

 

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