霧島連山 新燃岳 52年ぶり噴火

1/31朝、出勤時車内の気温が零下3℃、温度計を見たらその数字を計測していました。
この気温、過去振り返っても記憶にないのです。
昨年は猛暑、今年に入り冬の寒気が厳しく気候が大きく揺れています。
何か大きな異変が起こる予感をさせる北国の豪雪と火山の噴火。
オーストラリアでは大洪水の被害、世界各地で自然の猛威が襲っています。

 

新燃岳の噴火の映像を見るとその凄まじさ伝わってきます。火山石、灰をまき散らしながら立ちこもる噴煙、
地球の内部にあるエネルギーの強大さを知らされます。
人類が安定した生活を望み、科学技術を発達させ便利な暮らしをしようと自然に向き合ってきましたがどうしようもできない状況です。
連日のように降る火山灰は積もりに積もり、住民は火山灰の除去作業に日々追われている状況。
宮崎は、昨年は口蹄疫対策に追われ、今年に入り鳥インフルエンザ対策中に噴火が起こり、ダブルパンチ、トリプルパンチ、本当に同情します。
民主政権は「子ども手当」実施へ向けて、国会運営「おもらい政策」の推進に躍起で宮崎の災害に何ら手を打っていません。
すぐにでも自衛隊を派遣して、国民を守ることが政治家の職務なのに、「何をやっているんだと」言いたくなります。

 

それにしても、日本列島は火山地帯、噴火は宿命的に避けられないのが現状です。
小学校で火山の種類は、活火山、休火山、死火山あると習いましたが、頻繁に噴火している鹿児島の桜島があります。
富士山は休火山と教わり、ほかに活火山では浅間山があります。
20年前には、普賢岳の噴火で火砕流を発生して犠牲者が出ています。
10年ほど前には三宅島の噴火で、住民が退去を余儀なくされようやく島に戻れるようになったばかり。

 

この噴火が長期化する様相を呈してきました。
本当に大変なことになりました。
一番つらいのは成す術がない事でしょうね。
仕方がないと諦観する事しかできません。

 

日本、過去の歴史には噴火の記録が残っていますが、当時の人々科学知識がない時代どのように対処していたでしょうか。
「日本神道がわかる本」にこう記されています。
「『神道は自然崇拝から始まった』、山は祖先にとって神そのものだった。・・・・・・・
わが国では、地域社会ごとに信仰の対象となる神山・霊山があって、そこに神霊を祭る神社が鎮座している。この山岳信仰は、山容の美しい小型の山を神体と仰ぐ『神奈備(かんなび)信仰』と、高く聳える高山を神体山と仰ぐ、『高嶺信仰』、それに火山の霊威を畏怖する『浅間信仰』の三つに大別することができる。・・・・・・・・・・・・・」

「『燃える火の山を崇める浅間信仰』、七つの火山帯(南から霧島、白山、富士、乗鞍、鳥海、那須、千島)が縦横に走る日本列島には、2百座を超える火山がある。そのうち、噴火の歴史の新しい火山は86とされ、現在活動中の活火山には阿蘇山、桜島山、浅間山、白根山、三原山、霧島山などがあるが、これら燃える火の山として浅間型信仰を受けている。
最近、活火山の定義が変わり休火山、死火山と言う名称は使われなくなったが、かって、休火山には富士山、鳥海山、赤城山、開聞岳などがあげられ、死火山には、伯耆大山、箱根山などがある。休火山はすべて、高嶺型信仰を受けている。これらの火山の山頂や山腹には、いずれも神社が建立され、その神霊を神と祭っている。」

 

奈良、平安時代から人々は噴火を神の怒りと思い、その怒りを鎮めるために神社を建立していたようです。
科学的知識はない時代、怒りと感じることで自然に対して謙虚な思いを抱き、自然を畏怖したのでしょう。

昔から、河川の氾濫、干拓など地形を変えて土木事業を行い生活を改善しましたが、やはり限度があります。
自然界を征服するような思いを抱いたのは、西洋文明から起きた科学技術がそう思わせたのではないでしょうか、しかしながら今でも自然現象なる天変地異に対しては太古の昔から人類は成す術がありません。
我々の祖先が、神示と思い自然を崇め、また自分達が自然界に生きていることを自覚する神道の精神に人類は立ち返るべき時期に来ているのでは。

地球温暖化などは、生活の利便性を追求した結果です。

ネットのニュースでは、

霧島山系・新燃岳の噴火で、30日深夜に513世帯約1150人に避難勧告が出された宮崎県高原(たかはる)町では、親戚の家などに避難した人などを除く約600人が町の施設などで眠れぬ一夜を過ごした。・・・・」と報じていました。

当事者はこれからの生活に不安を感じていることでしょう。

後は神の怒りが鎮まることを祈るばかり。

参考資料

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コメントが 2件あります

  1. 米の祝福さんより2011年2月2日12:51 PM

    社長、こんにちは。
    私は学生時代生物学を学んでおりまして、遺伝子レベルでの事象をやっていますと
    「人間もいよいよ神の領域に足を踏み入れたか」というふうに感じたりもしていま
    したが、今回のような火山の噴火や、口蹄疫や鳥インフルの流行などが起こると、
    自分の驕った考えなど木っ端微塵に吹き飛んでしまいますね。
    地球温暖化の考え方にしても、実は地球にとっては長い時間の中の必然的な変化であって、「人間活動が地球に影響を及ぼしている」という人間の驕った考えなのかもしれません。
    もっとも「自然を大切にしよう」ということを否定するつもりは全くありませんよ。

  2. 上野2011年2月2日1:15 PM

    こんにちわ!米の祝福さん。
    いつも、小生のブログに関心を寄せていただき、
    有難うございます。
    >実は地球にとっては長い時間の中の必然的な変化であって
    そのような見解を耳にしたことがあります。
    地球の寒暖周期の域に入っているのかも。
    合気道の影響で、神道にも関心が行っていますが、
    大和言葉が形成される過程を勉強すると、
    縄文、弥生時代のの日本人、
    自然をどう見ていたか、判ります。
    その感性が神道を産んだと思います。
    自然、神への畏怖。
    これが根底に有るように思うようになりました。
    太古の人、あの噴火に直面すれば、
    神の怒りと感じても、
    おかしくはないと感じます。
    また、コメントお寄せください。

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