武士道を読んで、新渡戸稲造

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このブログ、合気道の弟子から寄せられた感想文を紹介しています。
これで、彼「武士道」関連の本を読んで4冊目になります。
本人曰く3度読み返したそうです。
新渡戸稲造が書いた武士道という本。
なんで、勉強する気になったのかと尋ねると、人に聞かれてちゃんと答えられるようにしたかったと言っていました。
彼も合気道をやっていたことが、興味をひかせる一因でしょうが、昨今の日本人から見て取れる精神性にも疑問を感じてきたのでしょう。

 

 私自身も、子供の頃から侍、武士と言われる人物像には関心がありました。
勇気、忠誠、信念、武術に長けた強い人などが心象にあります。
映画の影響などがそのように抱かせるのでしょう。
彼は、武士道精神を道徳と考えての印象を感想文にしています。
私が、最初に武士の心得を書いた本として手にしたのが「葉隠」。
以前にもそれを入手した経緯をブログに書いていますが、
泰平の世に慣れて、弛んできたために武士とは何ぞやと
警告的な意味合いから出された本だったようです。
今の佐賀県 鍋島藩の侍に向けて発信したものです。
事例を上げながら、礼儀作法、対処法などを教えています。
今、サラリーマンが読んでもためになる記述もあります。
当時の武士の処世術とも理解できます。

 武士道を読んでと題して感想文を書いています。
道徳的な面が印象的に残ったのでしょう。
新渡戸稲造も、世界に対してその点を重点的に書いているからだと思います。
以下が、感想文です。

 

<<「武士道」を読んで
道徳体系としての武士道

封建制度の子として生まれた武士道は、その本質を失ってしまったが日本人の根幹として生き続けるもの(続かせねばならぬもの)である。
カールマルクスは、その著書「資本」の中で「封建制度の特質を社会的・政治的に研究しようと思えば、現代において今尚生き残っている日本のその制度(武士道)を観察するのが良い」と言っている。

ではその武士道とは何か?

武士道とは、武士がその職務を遂行するときにも、また日常生活の言行においても守らなければならない道であり、言い換えれば武士の掟である。
武士はこれを守り、行なうことによってその効力が表れ武士の心に刻み込まれる最も厳しい律法なのである。
彼らは「サムライ」と呼ばれ、力が強く勇敢で最も冒険的な男たちであった。
喧嘩は堂々とやれ!というフェアプレー精神であり、その中には壮健で豊かな道徳の芽生えを感じる。

逆の見方をすれば、「卑怯」「臆病」は最大の屈辱なのである。人間は成長するに従いその生活は広がる。社会的な交わりも多くなる。その中で自分の行為を反省し更に満足して発展していくために必要な道徳観であった。
(戦闘の)利害のみを目的として、それを支える高い道徳観が無かったのであれば武士の思想は武士道には到達できなかったのだ。

<主観>
その高い道徳観に西洋のカールマルクスは注目したのである。今や、目的の遂行だけにとらわれた人間たち。そこには人としてのプライドがない。日本には「道」がある。
正義の道である。それが無くなってしまったが故に卑怯なまねをしても目的を遂行しようとする。「誰も見ていないから良いや」という自己中心的な発想。

しかし、見ているものがいる。天も見ている。それ以上にその本人が見ている。
恥ずかしくないのか!後ろ指指されないような立派な生き方はしていないのか。そんな大人を見て子供たちはどう思うのだ。親の背中を子供たちは見ているぞ。
今こそ、本道に立ち返らなければとんでもない世の中になる。自己中心的な発想。金を得るためだけの処世術・・それに憧れる若者。これをどう捉える?

自然が怒っているぞ。自然破壊も人間のエゴだ。地球にはバランスがある。そのバランスを欠いたために自然災害が起きている。
「人間どもよ、いい加減にせい!」と自然様がお怒りになっている。

自己中心的な考えを改め、世のため人のためになるような人間作りをしなければ地球は破滅する。そう思わずにはいられない。

日本の近代を築いた革新的な男:織田信長、薩長同盟の立役者であり、日本初の商社と言われる「亀山社中」を設立した坂本竜馬、明治維新の最大の功労者、日本の魂を保存するために西南戦争で朝敵となり散った西郷隆盛。
彼らは、目先の成功を求めたのではない。志に生きた。志のために全霊を尽くしこの世を去った。だからこそ世代を超えて我々を突き動かす人物になりえたのだ。と私は推察する。

目先の成功を求めるな!とは言わない。だが、せめて自分の子供たちに胸を張れる生き方をしようじゃないか。>>

感想文から読めてくること、
現代人が忘れかけている日本人の生き方に目が行っているようです。
「言行一致」が大切な掟であることは、「武士に二言はない」という言葉からもわかります。
「義を見てせざるは勇なきなり」とも言われ、「義」忠義、道義、信義を重んじる心構えも大切な掟だったのでしょう。

 

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コメントが 2件あります

  1. 小ハセガワさんより2010年11月16日12:58 PM

    確かに、日本人の美徳とは「道」にあるかと思います。「書道」然り、「華道」然り。
    上手く表現できませんが、自然を敬い、相手の立場を尊重し、(初心を忘れず)日々精進に励む
    と、でも言いましょうか。
    我々含めて最近の日本人たちは大事な「道」という”心”を忘れてしまっているのでしょうね。
    この日記にありました、「葉隠」を今度読んで勉強したいと思います。

  2. 上野2010年11月16日4:00 PM

    弟子もその様なことを感じていたようです。
    合気道家 望月 稔氏のお言葉を紹介します。
    日本傳柔術に。
    武士道とは、
    ・・・その根源はどこにあるかと追及すれば、
    「大和心」という事になる。これは「やまとごころ」と読むのが、普通であるが「いやあまたごころ」の転化である。
    それを今様に言うならば、最大多数者の共通的善意識という事になる。
    いやあまた(非常に、多くの人々)心(真心)である。この「大和心」—-
    いわゆるあまた人の共感としての真心—
    これこそが日本精神文化の華である「武士道」なのである。
    したがって武人の特質でもなければ専有物でもない。・・・
    それが行動規範となり内省し人格を高める努力が求められたのでしょう。
    また、コメントをお寄せください。

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