一億総白痴化という言葉

私はこの言葉を口にする機会が、最近多くなりました。
当社に訪れる人たちと仕事の話しついでに、いまの社会的風潮問題の話題が上り、それについての見解を話し、返答を求める形で会話が進むケースが多々あります。
そんな中、私が60過ぎと言う事もあり、若い人たちよりは人生経験も長く、その分を知識が多い面があると思いますが、それを差し引いても私が使う言葉を知らないケースが多いのです。
例ですが、今の若い人はすぐ「キレテ」しまうけど克己心が足りないと話すと克己という言葉を知らない人がいました。
己に克つという意味で、自分の心をコントロールできる能力を意味しているのだと、説明してはじめて理解するようです。
他に、従容、矜持、泰然など心のあり様を意味する言葉の漢字の知識不足を特に感じます。
(思い出したので、追加します。「公僕」もそうでした。私が中学の時社会科で習ったが、教わらなかったかと問いただしたくらいです。)
日常生活の中で、己の心の有様を見つめる作業が少なくなっているのか、はたまた親が心の持ち方の大切さを躾ず、精神面での注意が少なくなって、知る機会が減っているのかなと想像してしまいます。
人様々だから、たまたまその人だけが知らなかったのかと思うのですが、漢字を多く知らない人が増えたような気がします。
その点を指摘すると、今はワープロで文章を書くようになったので書かずに漢字を忘れてしまうと言い訳をするのがオチです。
しかし、本当でしょうか?
最近の人は本を読まなくなったと言われるようになって久しいですが、読書離れが影響しているように思います。
そのため、いろいろな漢字を知る機会も減るわけです。
私の伯母が教員をしていたせいもありますが、折に触れ「教育の基本は国語」なのと聞かされていたせいで国語の一部「漢字」の知識を多く持っている方がいいし、語彙の豊富さが大切なことと感じています。
最近、一億総白痴化という言葉が何時頃から使われていたか、ヒストリーチャンネルの番組「露木 茂の映画ニュースで見る昭和」で知りました。昭和31年です。そんな早くに出てきた言葉かと知り驚きました。
私の記憶には、そんなに前からかと言う認識がなかったので!、
私の記憶では十代後半頃にその言葉を知ったよう様な気がします。
前述したように、当社に仕事で来る30、40代の人たちと会話する時に、私が使った言葉の意味を理解できない時、「一億総白痴化」を引用し、読書の大切さを説明するのです。
私は「一億総白痴化」については次のような認識はありました。
評論家、文筆家、ジャーナリストである※大宅壮一がテレビと言う媒体の問題点を指摘した言葉と。そんなにテレビが普及してない時期に、警鐘を鳴らすような形で大宅壮一がその言葉を用いたのか?。
※出生 1900 年(明治33)9 月13 日、大阪府富田村(現・高槻市)に父八雄、
母トクの三男として生まれる。生家は醤油の醸造と小売りを兼ねていた。
履歴 1922 年、第三高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部教育学科に入学、
まもなく社会学科に転ずる。1925 年、新潮社嘱託になり、『社会問題講座』
を編集。1928 年には「総合翻訳団」を組織し、「千夜一夜物語」を翻訳。1941
年、満州へ渡り満州映画協会の責任者となる。昭和35年ころから亡くなるまでの10年間はその守備範囲の広さと無数の新造語(「一億総白痴化」「駅弁大学」など)によって大活躍、マスコミ天皇と呼ばれた。個人が遺した膨大な書籍や雑誌をもとに1971年大宅壮一文庫が出来、以降多くのマスコミ人、研究者がその恩恵にあずかってきた。
その大宅壮一文庫が作った膨大な索引目録が「大宅壮一文庫索引目録」である。
文庫には60万冊に及ぶ書籍があるそうです。
この経歴から見ても、膨大な数の本を読み、かつ多くの本の出版をしている大宅壮一氏の経験から読書する意義を当然過ぎるくらい理解していたのでは。それに比べ、安易に、情報が視聴者に対し一方的に視覚から入って来る形に弊害があると心配したのだと理解しています。
読書から知識、情報を得る作業とテレビ媒体からそれを得る違いに、思考力を働かせるか否かがあると思います。テレビから得る情報に思考力を働かせないとは言いませんが、読書の方がはるかにそれを要求します。文章を書くにあたり、なにをテーマにしどのような文章構成にして理解してもらえるか思考しなければなりません。
ですから、読書、文章を書く作業をしていると思慮深い判断が自然と身に付くのではないかと思います。
その点を心配し、大宅壮一氏は「一億総白痴化」と言う言葉で警鐘を鳴らしたのでしょう。
そういえば「白痴」の意味、漢字を知らない人もいました。
テレビから流れる情報をそのまま鵜呑みにして、判断して付和雷同し思慮に欠ける行動が大衆に出ているケースが多々見受けられます。
昭和48年オイルショックの時、トイレットペーパの買いだめに走ったり、ガソリンがなくなると早合点して悲観し自殺したタクシードライバーがいたと記憶しています。
大宅壮一氏が半世紀前に心配していたことが、今も継続している様な気がしてならないのです。
例えばジャーナリストとして報道番組として携わっている立場にいるのもかかわらず、テロップなどに漢字のミスが目立ちます。何時だったか「確立」とすべき所を「確率」と流していました。このようなミスは多いです。
誤報など、そのような立場(報道する)ではあってならないと思うのですが漢字の間違いぐらいと安易になっているのでしょう。
昔、アナウンサーと言えば言葉のプロという自覚が強かったのに!
ベルリンオリンピックで「前畑ガンバレ、前畑ガンバレ」と実況したアナウンサーがいましたが、それが話題になるくらい実況放送は冷静にするものという前提があったればこその話です。

※注)2019.12.16加筆 前畑! 前畑がんばれ! がんばれ! がんばれ! ゲネルゲン(※引用ママ)も出てきました。ゲネルゲンも出ております。がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! 前畑、前畑リード! 、前畑リード! 前畑リードしております。前畑リード、前畑がんばれ! 前畑がんばれ! リード、リード、あと5メーター、あと5メーター、あと4メーター、3メーター、2メーター。あッ、前畑リード、勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 前畑勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 前畑勝った! 前畑勝った! 前畑勝った! 前畑勝ちました! 前畑勝ちました! 前畑勝ちました! 前畑の優勝です、前畑の優勝です」(引用元の漢数字は算用数字に改めた。)この河西の実況アナウンスは、翌日の読売新聞朝刊において「あらゆる日本人の息をとめるかと思われるほどの殺人的放送」と激賞された一方、「あれでは“応援放送”で、客観的な実況放送とは言えない」「第三位以下の選手の順位が不明で、スポーツ中継としては“欠陥商品”だ」といった批判も少なくはなかった。河西は「放送席のそばにいた陸上(棒高跳)の西田修平、大江季雄らが『そーれ、ガンバレ、そーれ、ガンバレ』と声援を送っていたので、俺も一緒になって『がんばれ、がんばれ』とやってしまった」と述懐している」ウキぺデイアより引用。

今はスポーツ実況放送ではアナウンサーは喚くだけという印象が強いです。
面白さを狙っての事と思いますが、ただうるさいだけです。
以前のブログ「賞味期限、消費期限」で書いた新聞記事例ですがある意味「一億総白痴化」に該当するようなケースなので改めて書きます。次の内容です。
<崎陽軒のシュウマイにも触れ、重箱の隅の隅をほじくる話と言い、次のように書いています。
『五番目に表示すべき帆立貝柱を、二番目にしていたのが悪い、JAS法は、原材料を重量順に表示せよと定めているというんだが、あまりの些事(さじ)、お相手していられない。「読売」(11月29日)は、「信用していたのに残念」「小さい頃から食べていたのに」と女性の「怒りの声」を載せている。シュウマイの成分表示がそんなに大事件ですか。』と!。
※些事=つまらないこと。少しばかりのこと。
このような記事を書いている記者の脳ミソの質を問うているのでは?

怒りの声と女性の言葉と載せて、記事を書いていますがインタビューを受けた女性が一呼吸おいて思慮すれば、子供の頃から食べていますが、重量順でなくても支障はないと思います位の返答も出来たはず。本質を見れば規定がおかしいのではと言って欲しかったくらいです。
(何故なら、小さい頃から食べているのは、おいしいからでその間支障がなかった実績を考えれば、表示の順番は質や味に関係ないことは自明の理)
多分、取材した記者がはなから重量順でないからいけないと思慮もせず書いたでしょうから「怒りの声」として記事にしたのでしょう。
報道側にいる人達が、思考、思慮に欠けている面が見られる例です。
私が「一億総白痴化」をもじって今の日本の風潮を表すとすれば「一億総タレント化」とします。
「面白ければ、楽しければ」とその受け狙いをする人が多くなりました。
今の日本の風潮、何か「軽さ」を感じます。
大宅壮一氏の見識の鋭さを知る言葉としてつくづく考えさせられます。

1件のコメントがあります

  1. RERAさんより2008年11月25日1:21 PM

    最近の書籍もまた、低俗なものが多いです。高度な知識や論評を書いたような本はほんのわずかです。
    それでも本を読めというのはどうかと思います。
    それに、単に読んでいるだけならネットでも足りることですし、読んでも紙に書いていかないと本当に漢字を覚えられません。実際、私も漢字は読めても書くとなると駄目なことがしょっちゅうです。
    一億総「おバカ」化、「モンスター」化を防ぐには、小学校の頃から「考える」勉強を習慣づけさせることが大事だと思います。
    入試対策で、単に「覚える」だけの勉強では、自分で調べたり考えたりせずに、誰かに教わることしかできなくなるでしょう。
    教わることしか知らないから、テレビの謝った知識を簡単に信じてしまうのではないでしょうか。

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