大相撲と横綱問題

相撲協会、ここ数年「横綱 朝青龍」の問題に振り回され、最終的に引退ということで一応の騒動は決着しました。
この一件で、大相撲のあり方、横綱の地位、神事的、興行的要素などの見直しをする切掛けとなったようです。
その流れに乗るかのように、貴乃花親方の理事選出馬、二所ノ関一門から破門されながらも、まさかの当選となりました。
以前では考えられない事態が起きたのです。
部屋別総当り制度ができる前は、一門同士の対戦は無く他の一門との戦いと限られ、いわば身内同然で相撲社会では運命共同体としての組織だったのです。
例を挙げれば、栃若時代、柏戸(前の四股名 富樫)、大鵬(前の四股名 納谷)が入幕した頃、初代若乃花と柏戸の対戦はありましたが、大鵬との対戦はありませんでした。ファンとしてはその対戦も観たいと思っても同門なので本場所での取り組みはありませんでした。若乃花は花篭部屋、大鵬は二所ノ関部屋と同門でした。
(※昭和40(1965)年に部屋別総当たり制を実施)
以前本で読んだのですが、地方巡業の興行は一門で行い、その収入はその一門に帰属していました。したがい、収入を得るために競って強い力士を育て人気が出れば、一門の収入も増え潤うことができるのです。
いわゆる、同業会社の競争と全く同じく、売上を伸ばそうとする組織の競争です。従い、その結束は固く絆を深め、身内意識を育て一門の鉄の掟で利益を守る体制が作られていたのです。ですから、一門の総帥が理事になるのは当然といえます。元大関旭国、大島親方の心中を察するに相当なショックだったことでしょう。
この理事選ですが、あり方が選挙になっていないと批判されますが、長い歴史の中で培われた背景を考慮すれば当然と思えます。
私から言わせれば、何も理事選を作らずとも一門の総意で理事を出すことは構わないと思うのですが。
相撲社会、「競争の原理」でいえば親方が強い力士を育て、興行面で実績を出すことが物言う競争社会です。
結局は、興行面で人気が無くなればそれっきり、最終的には土俵で見せる力士の技量、個性がなどのパフォーマンスが大事なのです。
そういう点で言えば、個性派力士が大勢居ました。潜航艇岩風、もろ差し寄りの信夫山、出足の鋭い、褐色の弾丸房錦、吊りだしの明歩谷、打っちゃりの北葉山、内掛け名人琴ヶ浜を思い出します。
決まり手も今より多く、有名な栃錦の二枚蹴り、大内山を倒した首投げ、若乃花の呼び戻し(別名仏壇返し)、ほか内無双、外無双、外掛け、内掛け、小股掬い、とったり、けたぐりなど、今ではあまり見られない決まり手がありました。
塩を撒く所作が面白かった出羽錦、塩をつまむ程度しかとらず、なんとなくユーモラスでした。
私が子供の頃の横綱といえば、真っ先に浮かぶのが千代ノ山(千代の富士の親方)、横綱返上問題が記憶にあります。190センチを越える長身で確か突っ張りが得意でした
他に、吉葉山、全勝優勝で横綱に昇進しました。四股名は病気を治してくれた医師の名前「吉葉」を付けたそうです。太鼓腹の鏡里、後にプロレスに転向した江戸っ子横綱東富士です。それに続いて栃錦(春日野親方)、朝汐(振分親方)、若乃花(二子山親方)。
当時、昭和20年代後半からテレビ中継が始まり楽しみの一つでした。
実物の関取を目にしたのが、靖国神社で行われた奉納相撲でした。今でもその場所は残っていますが、相撲取りの控えには陣幕が張られ、その裾を持ち上げて覗き込んだのです。目にしたお相撲さん、初代若乃花だったかもしれません。
胡坐を組んで脇に一升瓶が置いてあり、顔が赤くなっていたと記憶に残っています。当然のことですが、お相撲さんは酒が強いことが相場でした。
横綱は強い存在で、当時は子供の憧れでした。
映画でも取り上げられて上映され、千代ノ山初代若乃花なども出演しています。他に大関名寄岩褐色の弾丸房錦なども。
このような存在であった力士、その頂点に立つ横綱は興行面では大看板としての役割、責任を背負っているのです。この事柄、品位、品格以前の問題で責務です。落語の世界で言えば、トリをとる大看板。
横綱朝青龍にはその自覚が無かったのでしょう。仮病を使い、モンゴルでサッカーをやっていたのですから。
興行面で考えれば、地方巡業は収入面においても大切な行事です。人気力士が出る、出ないでは収入に違いがでます。
そんな役割を果たさず地方巡業をサボり、サッカーに興じていれば相撲協会の幹部連中許すはずもありません。
高砂親方に厳重注意して、しっかり監督、指導しろと言うのは当然です。
しかし、高砂親方の指導力の無さが露呈して、「すったもんだ」して結局は引退です。興行面で見れば、相撲協会としては横綱を失いたくありません。折角、東西両横綱ができたわけですから。
高砂親方、鳴り物入りで近大相撲部から高砂部屋に入門し、末は横綱かと期待された逸材です。
大関で引退し高砂親方に就任、その時の言葉、確か「自主性を重んじて指導したい」と決意を述べていました。それを聞いて不安になった記憶があります。
聞こえがいいですが、朝青龍を見れば指導力の点において明らかに欠落していました。
力士しての作法、立ち振る舞い、横綱としての自覚、恐らく自主性を重んじるといいつつ、放任していただけなのでしょう。
相撲社会のしきたり、伝統などの行事も教えられなかったのです。
「自主」といっても躾を忘れると我儘になるだけと証明されたようなものです。
相撲の歴史は1300年の長きにわたるものと聞いています。
五穀豊穣を願う神事につかさどることから、縁起を担がれ関取、相撲さんに子供を抱いてもらうと丈夫になるなど生命感を感じさせるほどの存在になったのでしょう。日本社会ではある意味、特別の存在と認知されてきたのです。因みにデパートの催しで長女はモミ上げの長い関取「青葉城」に抱いてもらったことがあります。
最近テレビ報道で知りましたが、明治維新時、髷禁止令、廃刀令が出たが相撲社会は例外として許されています。社会的にもある面で特別に扱われています。
そんな中、ここ近年外人力士が増えています。今では日本人自体が伝統、精神文化の伝承という点でも希薄になっていることを考えると、異文化で育った外人に相撲の伝統、精神文化を教育するのは大変なことと想像されます。
力士の「士」は侍のことです。そういう点では、土俵の上で戦う時は精神面で「武士道精神」が基本となっているでしょう。そういう点を考えると朝青龍の土俵の上のガッツポーズは礼に反しています。敗者への思いやりが欠けています。元理事長の北の湖は土俵の下へ倒れ落ちた力士に手を貸して引き上げることをしませんでした。テレビ番組でその理由を語っていたことがあります。
「敗者へ手を貸し、親切にすれば相手が屈辱的に思うから」と言っていました。その思い私には良く分かります。やはり、動機は思いやりからです。
分野は違いますが、王選手、はじめの頃はホームランを打ってもガッツポーズをしなかったと記憶しています。やはり、ホームランを打たれた投手を気遣ってのことです。しかし、場面の見栄えを配慮するようになりガッツポーズ(喜びを表す程度のもの)をするようになりました。
日々の稽古、取組に臨む時、常々そのような「士」の精神を叩き込み、ただ強ければよしとする鍛錬だけは避けて、力「士」としての「戦いの美学」を体現できる力士に育てることが親方の責任だと思います。
「横綱の品格」と騒ぎ出したのも最近のことと思えます。
大横綱双葉山が基準になっているのでしょう。
しかし、先ずは横綱に品位、品格と言う前に相撲協会の大看板として興行面の責任があり、それを果たす自覚をさせることで充分に思えます。
責任を全うする。それだけでも立派な行為ですから。
若くして横綱になるケースが多くなった今、あまり多くを求めず本分をしっかりやることだけでよいと思います。
以前にも書きましたが、スポーツライター二宮清純に話した言葉で「早く老人になりたい」と現役時代、貴乃花が語ったそうです。横綱の重責から解放されたいと言う意味を込めて。
その重責を果たしていくその積み重ねが、品格を作っていくのです。
元理事長、横綱北の湖、若くして横綱になり憎まれるほど強いと言われましたが相撲人気は高まりその責任は充分果たした大横綱です。
相撲(角力)が「国技」と言われるようになったのは、1909年に国技なる字を取り入れ両国国技館と命名したからだと聞いています。
歴史的長さで言えば、剣道も国技、押しなべて武道の範疇にあるものは国技と言えましょう。
ブログでも触れていますが、昨今子供達が相撲で遊ばなくなっています。これでは日本人横綱を望んでも難しくなっています。
裾野を広げるために学校の正課にしようとする考えもあるようですが、その前に地方巡業を増やし、子供達との接触する時間を増やしたらどうかと思います。
それには本場所を6場所制から昔の4場所制に戻して時間を作ればよいのです。
協興行収入が減るデメリットはありますが、長い目で見れば普及と力士養成面でメリットがあります。それと力士生命が延びることも挙げられます。
今のやり方では、十分な治療を受ける時間もなく体調維持管理もおろそかになっているのではと思います。
これを実行すれば、大関魁皇など40歳まで相撲が取れるのでは。
地方巡業を増やすことで、稽古の質向上も計れます。じっくりと技を仕上げることができるからです。
もっと昔大正時代は2場所制でした。「1年を20日で暮すいい男」と言われた時代です。1場所10日制です。
(※注 東西合併の土俵は、昭和2(1927)年1月場所から実現し、関西場所を春秋二場所開催するため、年四場所興行となった。国立国会図書館常設展示より)
そこまでとは言いませんが、より多く地域と密着して活動すれば人材も探せるチャンスも増えます。
部屋別総当り制度も止めて、一門の戦いにすれば敵愾心も増し、決まり手も多彩になります。
(※条件として、出稽古は一門内とする。)
相撲協会、温故知新じゃないけれど、地方巡業の意義を見直し、改革して欲しいと思います。
最後に慶應大学の教授であった池田弥三郎氏の言葉で結びます。
「髷を結い、花道があれば芸能」
相撲の本質を言いえた言葉として今でも覚えています。

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