最近の出来事(拉致、辞任、相撲)について

アフガニスタンで邦人が拉致されたとニュースが流れました。また拉致かと頭をよぎりました。
詳しくニュースを知ると、ボランティアで農業技術指導をしている青年、伊藤さんと言う方。彼の安否情報が錯綜し、テロ組織タリバンの仕業か、生きているのかなど報道される中、8月27日遺体で発見された。
報道によれば、失血死との事、背後から機関銃で連射され左大腿部の大きな負傷が死因と告げていました。痛ましい事件です。
捜索には現地住民、1000人を超える村民が参加して彼を探していたとの事。
ニュースで知る限り、彼の仕事振りに現地の人は敬意を払い尊敬の念を持って接していたようです。
わかります。ボランティア自体、「利他の念」が強くなければそのような仕事に付きません。また、おそらく人柄も良く真面目に仕事に取り組んでいたことは想像できます。真面目な仕事ぶりは国境を越えても評価は同じです。
このニュースでそのような活動をしている団体NGO「ペシャワール会」を知りました。彼、青年伊藤さんの入会志望の文章を読むにつれ、彼の覚悟、志の大きさを知るほど無念なことと感じます。
それを示す文言がありました。
『私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをおてつだいしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。』
覚悟の程が読み取れます。
オリンピックが終わり、また、国民栄誉賞なるものを誰に上げるかと話題になりましたが、私から見れば彼にすべきです。
国民栄誉賞の基準があいまいで選考をどのようにすれば良いかなどメディアで取り上げられていましたが、単純に日本国、国民にとって栄誉、功績と思えるものと規定すればよいと思います。
名前が国民栄誉賞となっていますが、賞の名前がふさわしくなければ、彼のような功績に対する賞を設けたらいいと思います。
青年伊藤さんの行為は、他国の人々にお役に立ちたいという思いからです。オリンピック選手などがメダルを目指し活躍する意味合いと違います。根底に「利他の念」があります。
彼の死が犬死にならぬよう、国民の記憶、歴史に刻むためにも。
私が彼を選ぶ基準として考えれば、
○ 友好関係を更に発展させた。
○ 国是、国際貢献に該当。
○ 事件に巻き込まれ、志半ばの無念の死に対し哀悼の意。
でも、彼のような若者が目立たないだけで、たくさんいるのでしょう。
次の出来事に驚きました。
福田首相辞任、テレビの臨時ニュースで知りました。内閣改造でこれからだと言うタイミングで。
安倍首相と同様短命に終わりました。
新聞、ニュースから読み取れることは、嫌気がさしたことがどうも動機のように思えるのですが。
投げ出したと言われても仕方ない様です。
安倍さんは政治家としては3代目となる人、福田さんは2代目です。
この辺あたりが今回の辞任の遠因のように思われます。
口幅ったいことをいうようですが、端的に言えば『ぼんぼん育ち』。逆境に弱いともいわれます。
私が子供の頃から知る、政治家、岸信介、池田隼人、佐藤栄作、田中角栄と比べると線の細さを感じます。
太平の世に育ったことも影響しているかもしれません。
徳川幕府も家康、秀忠、家光と代が移るにつれ、戦国時代を生き抜く雄々しい気風が薄れ軟弱に成っていくのと重なってきます。
日本の国家情勢をみても、国の主権が侵されている拉致事件、領土問題が国会で激しく議論されず、
弱腰になるのも、男が軟弱になっているのが影響しているのかなとも感じます。
福田首相は昭和11年の生まれです。
その当時、「男子たるものは」など言われる気風があった時代です。父親である
福田赳夫氏はそのような躾をしなかったのでしょうか。
以前紹介した『失われた手仕事の思想』を書いた塩野米松さんが憂慮した、職業的倫理感の喪失が政治家と言う職業にも出てきているでは。
仕事への使命感、責任感が希薄になっているような気がします。
困難、難局乗り越えてやろうと言う気概が出ないのは、「男として情けない」というこだわりがないのかなとも想像します。
『葉隠』の一節、”武士道といふは死ぬ事と見附けたり”の意義を解説した神子 侃(かみこただし)氏の解説文章の一部ですが次のように教えています。
「非常時の時の覚悟で、平時の時の勤めを果たせ。そのためにも非常時の際には無条件で身命を捧げる決意を固めておかねばならぬ」と。
以前、スカルノ大統領の第二夫人か第三夫人か忘れましたが、デビ夫人が「戦後、日本の男は玉を抜かれた」と言っていた記憶がありますが、言い得ているような気がします。
「男は黙ってサッポロビール」のCMが受けた時代から、今は男がお笑いで「ベラベラおしゃべり受け狙い」がモテはやされる時代に変質しました。ある美人女優がお笑い芸人と結婚しました。男性観の変化を示す一例です。たかだか40年ぐらいで変わってしまいました。
私にとって次の出来事が起きたのが残念です。
大相撲、若ノ鵬が大麻使用で逮捕されたことです。ここ最近相撲協会は朝青龍問題から、シゴキでの死亡事件など大揺れに揺れています。そのたびに相撲評論家たちがいろいろと発言していましたが、麻薬逮捕で一挙に相撲協会の膿が噴出した感があります。
大相撲の道統がこんな形で壊れていくを見て、悲しくなります。
戦後、大相撲の人気はなく、大変な思いして復興に努力したと聞いています。
世の中が落ち着くにつれ、徐々に人気が出てきて照国、千代ノ山、鏡里、吉葉山などの横綱が出てきました。(追記、思い出したので記します。江戸っ子横綱といわれた東富士もいました。引退した後プロレスに行きました。)
大関で記憶にあるのが、名大関と言われた名寄岩、長身の大内山、押しの三根山、松登、などです。
人気の証として、相撲さんが主人公として映画にもなりました。
確か記憶では、名寄岩、千代ノ山、初代若乃花、房錦の相撲さんが映画になっています。プロレスに転向した力道山も日活で「怒涛の男」のタイトルで主演しています。
千代ノ山は「横綱返還」騒ぎがあった記憶があります。吉葉山は治療して再起できたお陰と医師の名前を四股名にしました。鏡里は太鼓腹で有名でした。
房錦は出足の良さで関脇になり、弾丸房錦と形容されました。
時代としては昭和20年代後半から30年代初めと記憶しています。
昭和20年代後半からテレビの相撲中継をも始まり、相撲を見るようになりました。
私が子供頃は、強さの象徴として横綱などは憧れる存在でした。
また、当時は個性の強い相撲さんがいます。記憶にあるのが、
関脇で全勝優勝した時津山、差し身の良い、信夫山、北の洋、頭を低くして相撲をとる潜航艇岩風、巨漢の大起(おおだち)、昭和30年代後半になると、吊りだしの明武谷、打っちゃりの北葉山、モダンボーイと呼ばれた若羽黒、平幕で金色のまわしをして全勝優勝し玉ノ海、うち掛けの名人琴ヶ浜などなど。
今振返れば、相撲を強い興味を持って見ていたのは、昭和30年代の栃若時代、
40年代の柏鵬時代頃と思います。相撲中継が楽しくて毎場所のように見ていたと思います。
横綱輪島、北の湖、輪湖時代が終わった頃から相撲の醍醐味が薄れてきたような気がまします。
私自身の見解では、部屋別総当り、力士大型化が醍醐味を失わせているようでなりません。それと外人力士が増えたこともあります。
最近の相撲の決まり手を見てもわかります。
押し出し、寄りきり、突き落とし、はたき込み位しかありません。
相撲が大味です。
番付の格の違いも薄れています。大関がその典型です。10勝出来なければ駄目で9勝ではクンロク大関と言われてだらしないと相撲評論家から叱責されていました。今は勝ち越し、負け越しの繰り返し、何回目のカド番かが話題になっています。
相撲協会の刷新が叫ばれています。
私が改革するとすれば、温故知新ではないですが部屋別総当り制を止め一門制に戻します。その方が相撲の取り口が今より幅がでると思います。
一門といえば出羽ノ海、二所ノ関、立浪、高砂、時津風があります。
力士対決の種類は減りますが、昔のように一門の利益がらみの要素が持ち込まれれば敵愾心が強くなり、真剣さが強まります。
昔の巡業は一門で行い、それが一門の収入ともなりました。ですから人気力士を育てることが一門の繁栄に直結していました。
これに代わる仕組みを作ってもよいのではないか。
例えば、一門の団体戦。
一門同士での出稽古だけにしておけば、対決する相手の手の内が良くわからず、いろいろな決まり手も出るように思えます。
重量制限を設け、上限を150キロとしてそれ以上の体重のある力士は出場停止。怪我が多くなっているのも大型化が一因。
収入は減りますが、年4場所にする。今の6場所制だと鍛える時間が少ないと思う。4場所になれば、相撲取の現役寿命も長くなり、味のある相撲さんが育つ。
外人力士の採用は、相撲の道統を理解し、力士としての精神性を身に付けさす試用期間を設け、それを体現できないものは弟子として採らない。
師匠として資質が認められるものに限り、部屋を持たせる仕組みつくり。
などが思い浮かびます。
呼び戻し、内無双、外無双、外掛け、内掛け、吊りだし、打っ棄り、上手投げ、下手投げ、出し投げ、首投げ、二枚蹴り、渡しこみ、など四十八手が繰り出される相撲が見たいと思う昨今です。
呼び戻し、別名仏壇返しという技、リアルタイムで見ていませんが、フィルムで見る機会がありました。初代若乃花が鳴門海をその技で投げていますが、殺気すら感じるくらい凄みがありました。
最後に一言、昔慶応義塾大学に在籍していた教授 池田弥三郎氏は相撲を次のように定義していました。
『髷を結い、花道があるのだから芸能』であると。テレビで聞いた記憶があります。
とても含蓄のある言葉と思います。
私はスポーツである前に日本の文化、また興業的側面を指摘しているように理解します。
私が子供の頃、相撲を見る姿勢を如実に示す話があります。
大関松登が千秋楽で初代若乃花と対戦するのです。若乃花は確か優勝を決めていて、松登は負けると大関陥落となります。若乃花は対戦を思い悩んだようですが、勝利します。
勝ったために相撲ファンから情け知らずと非難を浴びます。
何故勝ちを譲らないのだと。八百長しなかった事をファンは怒っているのです。
昔の相撲ファンは幅のある見方で相撲観戦を楽しんでいたようです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。

スタッフ募集中です

過去の社長ブログ

最近のコメント


→社長ブログを見る

follow us in feedly   RSS