角界の一連の事件で感じたこと

今月は、何度もブログを書いていますが、私にとって気になる話題ばかりなので。
朝青龍が巡業をすっぽかし母国でサッカーをしていたことから仮病だといわれた事件がありました。相撲協会は罰として二場所の出場停止を与えました。
この一件から高砂親方と弟子である朝青龍の師弟関係がいろいろと取り沙汰さたされました。親方の指導がよくない、朝青龍が親方をなめているなど。
以前、行状が悪く親方の奥さんに暴力を働き角界を去った力士がいます。この力士双葉山と羽黒山から四股名を貰って、双羽黒としたくらい期待されていたのですが行状の悪さが原因で辞めたのです。
この頃は、上下関係、縦社会の秩序もあったのでしょう。その自覚をその力士も持ち合わせていたから辞めたのだと思います。そんなことをしたのではと居られないと。
しかし、高砂親方と朝青龍にはそのような関係があるとは思えないのです。今の朝青龍の行動を見ても。
はっきり言えば親方の監督、指導に問題ありと言っても弟子である方が言うことを聞かなければそれも出来ません。
記憶が定かではないのですが確か、高砂親方が部屋を継承した時、相撲を指導するにあたり自主性を重んじた方法をとるといったことを記憶しています。
彼は確か近大相撲部出身で角界に入りました。大学時代の相撲部で経験したことの反動が、そう言わしめたと推測します。
当時の大学の運動部のほとんどは縦社会、上下関係は厳しいのが当たり前でした。
しかし、それが監督指導できなくなった一因だと思います。だから横綱として振舞えと言っても「我」が出てしまうのです。
「自主性を」と言うと聞こえはいいですが、年齢的にはまだ成人していない者を指導するのですから。
次は昨年起きた時津風部屋のシゴキでの死亡事件でした。横綱の範と言われている大横綱双葉山が興した部屋で起きたのです。なんとも痛ましい事件です。残念です。
我々の学生時代の運動部でもこのような事故は起きています。様々な面から再発防止をしなければいけないのだと思いますが、ちょっと気になる話があったので、それに触れたいと思います。
相撲は挌技です。厳しい稽古を通して、頑強な身体を作り、激しくぶつかる立合いにも耐える身体でないと相撲は取れません。
昔、大学生の頃日本で撮影された「007ジェームスボンド」の映画で大相撲を観戦するシーンがありました。確か撮られてた力士は琴桜の取組だったと思います。砂かぶりで相撲を見たことがない私にとって、立合いで頭がぶつかる瞬間「ごっつん」と音を聞いた時その凄さに驚いたくらいですから。
基礎訓練の股割り、四股、鉄砲、擦り足で基礎体力をつけ、土俵稽古で技を身に付けていきます。その過程で、稽古が苦しくなったりして自分に「甘え」が出てそれを乗り越えなければならない時、本人を奮い立たせる「愛のムチ」が必要な時もあります。
稽古の時、竹刀が使われています。今回のその事件で稽古場には竹刀を持ち込まないようにと話がでていたのには短絡さを感じました。
相撲は、土俵に立ち、命がけで相手を倒しに行くのです。
闘争心、勇気、頑張りなどの精神性を作っていくには必要とは感じるのですが。
マスコミなので、見識者と言われる人たちが意見を言いますが、鍛錬し強くなる過程を経験したことがあるのでしょうか。あれば己の甘えに克つ難しさもわかり、手助けの必要さはわかるはずです。
叩いて、奮い立たせ、心を強くさせる作用もあるのです。
見た目、暴力的な印象を持ちますが、それは稽古する本人の自覚の問題です。
「厳しい、シゴキ」はイコール「悪」という短絡的な批評はしないで欲しいものです。
厳しさ、辛さは「己の心」と対峙させる機能があります。
対峙した時、「甘えの心に、克たねば」と思うことが心の稽古にもなるのです。
相撲界で大麻事件が起きて、北の湖理事長が辞任という事で決着し新理事長、武蔵川親方が改革の任にあたる事になりました。
大麻事件では、親方の監督指導責任が問われる事となりました。
その対策として「指導マニュアル」を作成すると新聞記事にありましたが、
記事の一文に、「子供の頃に、親が教えるようなことまでマニュアルにするのか」などと嘆きともいえる文面がありました。
そんな状況では、指導する親方までが子供扱い。
皮肉ですが、だったら、相撲協会もISO9000の認定でも取ったらと言いたくなります。
しかし、それはある面、日本の現状で、家庭での躾が出来ていないこと、それと2,3年位ですぐに入幕する外人力士が増えてきた事が原因でしょう。挨拶、生活作法、長幼の序などほとんど常識的な事柄ばかりがマニュアルに取り上げられているのでは。読んでみたいものです。
そのためにマニュアルを作って、再確認をしなければならないほど、タガが緩んでいるのだと思います。
相撲社会は、縦社会であり番付がすべてです。厳しい指導、稽古によって番付が上がり、それによって鍛え育まれた人格が秩序を支え構成されていましたが、時代の変化、ここ最近の外人入門があってから壊れてきたようです。
話が変わりますが、一連の事件で北の湖理事長が「責任は親方にある」といい続けてきたことが、元小結竜虎がテレビで説明した話を思い出して理解できました。
説明はこうです。「相撲協会の理事長職は商店街の会長と同じ役割」。
北の湖は三保ヶ関部屋に入門し、横綱まで登り詰め大横綱と称される強い横綱です。中学での入門です。他の社会の経験を持たず、12,3歳で相撲社会に身を置き育ち、親方を親と思い、言いつけを素直に守り厳しい稽古にもひたむきに耐えてきたのです。その過程で、三保ヶ関親方を見て相撲社会の親方の役割を学んでいたのでしょう。部屋の全ては親方にある。だからこそその発言があったと思います。
竜虎が言うように、商店の経営は店主にあり、経営一切の責任を担っています。
だから、「親方の責任」と発言したのだと思います。
いろいろとその対応を先送りと非難されていましたが、今、私はそう思いません。彼が学んだとおり律儀にその考え通り、押し通したのです。一途な性格と思われます。
お疲れ様でした。
しかし、これから相撲協会はどのように改革したらよいのでしょう。
前にも言いましたように相撲を「髷を結い、花道があれば芸能」と言い残した池田弥三郎氏の言葉がヒントになります。日本の文化として考えれば、土俵で相撲を取る姿勢に、竜虎が言ったように精神の根底には武士道精神がなければなりません。
思いつくまま記述します。
正々堂々と、卑怯な振る舞いを慎み、勝っても相手の心情を思いやり、ガッツポーズをとらせないように教えること。最近それがわからない外人力士がいます。
様式美を常に忘れないよう指導する。髷がある以上、それにあった服装、仕草を守らせる。伝統的所作を再認識させる。
マスコミが取り上げて、朝青龍が髷をポーニーテイルにした写真が問題になりましたが、禁止されている行為です。注意指導に当たります。横綱があれではいけません。
批評する側に容認する発言もありましたが、伝統を守っていく上で安易な妥協はいけません。
変えて良いもの、悪いものしっかりと弁別しないといけません。
懸賞金をうけとる際にも、賞賛に対して感謝の念をこめるように。
力士の士はサムライを示す、生活面でもそれに習い、教育する。
例えば、北の湖が現役時代、勝って、土俵下にいる負けた力士に対し手を差し伸べ土俵に上げる所作を北の湖は敢えてしませんでした。彼はその行為(優しさ)に対し「相手にとって屈辱と感じるのでは」と配慮し行わなかった。これなどサムライらしい配慮です。
外人力士をどうするかが当面一番の課題でしょう。
相撲協会は外人に頼っていては、日本文化としての相撲継承できなくなると反省すべきです。
それよりも、ゴルフで成功している例を参考にして少年に相撲を普及させる対策を検討すべきです。相撲自体体育的面で言えば、勇気、集中心、などの精神面での育成には効果があることをアピールしていくべきです。
そのためにも、本場所は減らしてでも、地方巡業を増やして生の相撲を多くの人に見てもらい良さを知ってもらうことです。
新理事長、武蔵川親方に期待する所です。

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