英霊に敬礼!! 隣町の彰忠碑。

彰忠碑に関心が向くようになって4年が経っています。お国の為に働いて命を捧げた人を英霊と呼びますがその方々を顕彰するのが「彰忠碑」です。
場所によっては、「忠魂碑」「表彰碑」と呼んでいます。
日清戦争日露戦争第一次大戦に従軍もしくは、戦死した人へのレクイエムです。
以前、「偶然見つけてた彰忠碑」というブログを書いていますが、その碑の意義を知ったわけです。

英霊を祭る神社として子供のころから靖国神社で遊んでいましたので、各地でも英霊に感謝する意味で同様に建立されたと思いました。

昭和44年の頃、熊本での経験ですが、黒髪町にあった立田山公園に出向いた時に日露戦争で亡くなられた軍人墓地を見たことがあり、当時(明治)の人々の英霊に対しての思いを深く知ることなりました。

そんな経験があった為に、たまたま通りがかった場所、富士見市下南畑に立っていた碑が気になったのでしょう。
それからグーグルで確認すると近辺にたくさん建立されていることがわかり彰忠碑巡りをしてみようと思いついたのです。
その一つが隣町・三芳にある彰忠碑だったのです。
通院している病院の傍と分かり、診療を受けた後三芳町役場まで行き、写真を撮ってきました。

陸軍大将従二位一等功二級 一戸兵衛 書

碑文 昭和3年11月 (昭和27年5月再建)三芳村 三芳村軍人分会 建立

日清、日露、第一次世界大戦に出兵、もしくは戦死者の記録がないので三芳町役場に問合せをしました。
電話に出た受付の方に「彰忠碑」についてお聞きしたいと申し出たところ理解できない様子、総合運動場傍の駐車場に立っている碑ですよと話しても分からない様子、代わりますのでと言われ4人目の方でお話ができるようになりました。
職員の方々が知らないことに驚きましたが、さもありなんとの印象を持ちました。
戦後の教育で軍人さんに対し敬意を示す躾をしていないし、逆に「悪」の印象を持たせる風潮もあったのがそんな結果になったのでしょう。
「でもしかし」との思いはぬぐえません。
毎日出勤する場にこれが建立されているのにと思うのです。
4人目の応対で出れた方が福祉課の課長さんでした。
現状、分からないので地元の遺族会の方々の聞いてご返事しますと言われ、その日のうちに回答がありました。
大東亜戦争の情報は遺族会では把握しているが、日清、日露、第一次世界大戦となると分からないとの事でした。
他に知り知りたいことがあるのでと、当時の三芳村の人口も調べても貰いました。
明治25年 2921人
明治30年 2901人
明治35年 2981人
明治40年 3256人
現在(令和4年) 38000人

 100数十年前の三芳村から出兵された方、三芳村では何人ほどいたかは不明ですが、当時、全国津々浦々からお国の為に出兵されていたことが、全国各地に建立された碑から伺い知ることが出来ます。
今日、戦争反対、反対と声高に叫び、国を守ることを忘れた国民に、なぜ当時戦争をしたのか勉強してもらいたいのものです。

まして命を擲って国防についた方々に対して、「軍人」として敬意を払わないのはおそらく日本人位でしょう。
戦後の偏向教育を見る思いがします。
 三芳町役場の福祉課 課長さんには忙しい中、丁寧に対応して頂きありがとございました。

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