続編:戦後から消えた「修身教育」、心の荒廃の始まり。

ブログのタイトル、「戦後から消えた「修身教育」、心の荒廃の始まり。」の続編を書く切っ掛けが、1ヶ月間(令和3年12月21日~令和4年1月20日)で「119」のビューがあり、ここに来て何故アクセスが増えて来たのかと関心が行ったためです。

「心の荒廃」と思われる社会現象がネット、新聞などでにぎわす、「親殺し」、「子供殺し」(虐待による)、「赤ちゃん殺し」(欲望の果てに処置に困る)など荒んだ事件を耳にすることが多くなったことが影響しているのでは?
他にも教師による「猥褻事件」など報じられていることがこのブログに関心を示す一因ではないかと思ったからです。

前のブログにも書いてありますが、小学校の恩師、「修身教育」廃止と決まった時には教育家として「心の乱れ」は予想できたと言っています。

古語に曰く「心こそ、心転がす心なれ、心に心、心して居よ。ころころと、転げ易き人心転がぬように、心して持て。」
心の本質を見事に表している言葉と思います。

先に申し述べた事件でも、例えば虐待による「子供殺し」父性、母性、理性など先天的に備わっているのではなく後天的に造られるものなのでしょう。

新渡戸稲造が著した「武士道」に書いた動機の経緯が記されています。


・・・それはあるベルギーの学者との会話がきっかけだったそうです。
「日本には宗教教育がないのに、どうやって道徳心を養うのか?」
と聞かれた際に回答に困ったため、本を出版し武士道について知ってもらおうとしました
事実、日本人の道徳心には武士道は非常に密接にかかわっていました。・・・
西洋人は心の滋養を宗教に委ね、律することを心掛けます。
日本人は国の歴史、伝統の育まれた武士道精神を行動則の指針としていました。

明治政府になると、教育の指針として「教育勅語」は発布されます。
・・・ 教育勅語とは、 1890 年 (明治23年) 10 月に発布された「 忠君愛国 主義と 儒教的道徳 が学校教育の基本であると示した明治天皇の勅語」のことです。 「勅語」とは天皇のおことばのことであり、「勅」という字はもともと「いましめる」「ととのえる」といった意味を持ちます。・・・
そして著わされたのが「尋常小學修身書」、これにより終戦まで日本人の心(大和魂・大和心)の教育の基が「修身教育」の授業だったのです。

冒頭の述べた荒んだ事件から判ることは、父性、母性などもともと備わっているものでなく後天的に育てられた心性なのです。だから心の教育は不可欠なのです。

それが戦後教育を受けてきた者は、修身教育は戦争に繋がる危険なものだというマイナスのイメージを植え付けられてきた。
私のように、それは間違いないだと気付く人もいるが、今でも大半の者はそう思っているのではないでしょうか?
それが証拠にこの素晴らしい修身教育が教科化されていない。

 

 

 

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